海外の映画俳優・女優のプロフィール、デビュー映画、代表作、DVD,私生活などの情報です。
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☆生年月日・出身:
1951/3/17、アメリカ合衆国マサチューセッツ州スプリングフィールド
☆俳優タイプイメージ:
実力派、演技派、個性派、ヒーロー、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
言葉より背中で見せる演技が特にいい。
☆エピソード・略年表など:
63年、TVシリーズ「ジェミーの冒険旅行」、映画「ヤング・ヤング・パレード」で芸能界デビュー。
子役として「テニス靴を履いたコンピューター」など10本近いディズニー映画に出演。
70年代には野球選手に転向しマイナーリーグで活躍したが、肩の怪我が原因で俳優業に戻った。
79年、TV映画「ザ・シンガー」でのプレスリー役がエミー賞主演男優賞候補となり、以後本格的に俳優活動を再開。
カーペンター監督とのコンビで「ニューヨーク1997」「エスケープ・フロム・L.A.」のスネーク・ブリスキン役に出演し、アクション俳優としての地位を確立。
さらに82年「遊星からの物体X」86年「ゴースト・ハンターズ」にも出演。
83年「シルクウッド」でゴールデングローブ賞助演男優賞にノミネート。
ジョン・カーペンター監督作品に多数出演し、アクション俳優の地位を確立するが、社会派映画からコメディー映画まで幅広く出演する演技派。全米で幅広い年齢層に人気を持つ実力派俳優として有名。
日本ではかつて「カー君」という愛称が付けられていた。
全米で幅広い年齢層に人気を持つ実力派俳優として有名。79年に女優シーズン・ヒューブリーと結婚し80年に離婚。83年から女優ゴールディ・ホーンと暮らしている。 ☆主な映画等出演作:
1963年「ヤング・ヤング・パレード」
1964年「マードックの拳銃」
1966年「歌声は青空高く」
1968年「ファミリー・バンド」「赤いリボンに乾杯」
1970年「テニス靴をはいたコンピューター」
1971年「愚者の行進」「ハダシの重役」
1972年「そら、見えたぞ、見えないぞ」
1975年「世界最強の男」
1980年「ユーズド・カー」
1981年「きつねと狩人」(声)「ニューヨーク1997」
1982年「遊星からの物体X」
1983年「シルク・ウッド」
1984年「スイング・シフト」
1985年「殺しの季節」「タッチダウン’90」
1986年「ゴーストハンターズ」
1988年「潮風のいたずら」「テキーラ・サンライズ」「ウィンターピープル」
1989年「デッド・フォール」
1991年「バックドラフト」
1992年「不法侵入」「キャプテン・ロン」
1994年「トゥームストーン」「スターゲイト」
1996年「エグゼクティブ・デシジョン」「エスケープ・フロム・LA」
1997年「ブレーキ・ダウン」
1998年「ソルジャー」
2001年「バニラ・スカイ」「スコーピオン」
2002年「ダーク・スティール」
2004年「ミラクル」
2005年「スカイ・ハイ」「夢駆ける馬ドリーマー」
2006年「ポセイドン」
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☆生年月日・出身:
1947/7/30 、オーストリア・グラーツ
☆俳優タイプイメージ:
肉体派、ヒーロー、コミカル、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
上昇志向がパワーの元か。やはり売りは、肉体を武器にしたアクション。
☆エピソード・略年表など:
鍛え抜かれた肉体は「オーストリアン・オーク(オーストリアの樫の木)」の愛称をもたらし、ジュニア・ミスター・ヨーロッパ、ミスター・ワールド、五回のミスター・ユニバース、七回のミスター・オリンピア(ボディビルディングの世界最高峰)のタイトルを得る
68年にアメリカ合衆国に移り住む。彼は英語が流暢でなく、その所持金は僅か20ドルだった。83年にアメリカ合衆国に帰化したが、オーストリアの国籍も保持している。79年にウィスコンシン大学から国際市場と経営管理に関してB.A.を得た。彼は、その出演作から「ガバナーター」「コナン・ザ・リパブリカン」などと呼ばれる。その青年時代は成功したボディビルダーとして名を知られ、ハリウッド時代の経歴で世界中に名を知られるようになった。
彼の最も成功した主演作は「ターミネーター」「プレデター」「コナン・ザ・グレート」「トゥルーライズ」「コマンドー」などが挙げられる。数々の映画で築いたその資産は数百億円にものぼるとみられる。
71年に彼の兄弟マインハルトは自動車事故で死亡した。また、父親のグスタフは翌年死亡した。
77年に彼は自叙伝「Arnold: The Education of a Body-Builder」を出版。
86年にはケネディ元大統領の姪でテレビ・ジャーナリストのマリア・シュライヴァーと結婚。2人の間には4人の子供(キャサリン、クリスティーナ、パトリック、クリストファー)がいる。
鍛え上げた肉体を武器にアクション映画で活躍。
70年の「SF超人ヘラクレス」でのヘラクレス役でデビューする。同作で彼はアーノルド・ストロングとクレジットされ、そのアクセントが強かったため台詞はアフレコがなされた。
77年にドキュメンタリー「鋼鉄の男」に出演する。91年に彼はこの映画を政界進出の障害と見なし、映画の権利、未使用フィルム、スチール写真を購入した。彼はこの映画に関しての議論を拒絶しているが、批評家は写真を根拠に彼は目とあごに少なくとも一回の美容整形手術を行っていると主張。
82年の「コナン・ザ・グレート」でブレイク。
続いて84年サイボーグ・スリラー「ターミネーター」に出演し、アクション映画俳優として確固たる地位を築き上げる。
シュワルツェネッガーの俳優としての演技力は多くのジョークの元になっている。彼は役柄上必要なくとも、強いオーストリア訛りで話す。彼の作品のファンのほとんどはそのことを気にかけていない。彼はまた自らの演技の幅に、アクションものだけでなくコメディのセンスを取り入れることに成功し、それまでのアクション俳優にない「知的」な印象を持つ俳優として人気が出始め、ハリウッドスターとしての地位を確立。
85年コマンドー」、86年「ゴリラ」87年「バトルランナー」、88年「レッドブル」といった多くの成功作に出演。
87年「プレデター」にはミネソタ州知事ジェシー・ヴェンチュラ(「バトルランナー」にも出演)とケンタッキー州知事ソニー・ランダムが出演。
アクション映画以外にも、ダニー・デビートとの88年「ツインズ」にも出演し、役柄を広げた。
90年「トータル・リコール」は当時最も制作費が費やされた映画で、同作は賞賛され、このときのギャラは1,000万ドルを突破したと言われている。出世作である「ターミネーター」の続編「ターミネーター2」では、悪役から善役へと変わり更に人気を拡大、全世界で興行収入5億6千万ドルを超えた。
世界的俳優の地位を不動のものにした。
「ターミネーター2」のワンシーンの台詞”I will be back”が決め台詞となり、来日した際や日本のマスメディアのインタビューの際には必ずこの台詞を発言している。03年「ターミネーター3」以降、カルフォルニア州知事選などの政治活動をメインに行うため俳優業を暫くの間休業することになる。「ターミネーター4」には出演しないことが決まっている。
03年8月にカリフォルニア州知事がリコールされたことを受け知事選へ出馬し、10月にカリフォルニア州知事に選出された。知事就任後は民主党主導の議会や労組との対立に苦しみ、目立った治績を上げられていないのが実情。
06年、カリフォルニア州ロサンゼルスの路上で、大型オートバイを運転中に乗用車と衝突事故を起こし、唇を15針縫うけがを負った。この事故はサイドカー付きのオートバイであり、同州では自動車の運転免許で運転できるが、米国での大型二輪免許の取得歴がなく、これまでの映画やTV中でのシーンはもとより、現在に至るまでの二輪車の運転は全て無免許運転であったことが発覚。01年にもオートバイで事故を起こし肋骨を6本折るケガをしている。因みに、ヨーロッパでの二輪免許は取得している。
日本では、ご存知の通り「シュワちゃん」という愛称で親しまれており、数度の来日でバラエティ番組や各種のCMに出演している。
☆主な映画等出演作:
1970年「SF超人ヘラクレス」
1973年「ロング・グッドバイ」
1975年「ステイ・ハングリー」
1977年「アーノルド・シュワルツェネッガーの鋼鉄の男」
1979年「サボテン・ジャック」
1982年「コナン・ザ・グレート」
1984年「キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2」「ターミネーター」
1985年「コマンドー」「レッドソニア」
1986年「ゴリラ」
1987年「バトルランナー」「プレデター」
1988年「レッド・ブル」
1989年「ツインズ」
1990年「キンダガートン・コップ」「トータル・リコール」
1991年「ターミネーター2」
1993年「ラスト・アクション・ヒーロー」「ゴリラ2」「デイブ」
1994年「ジュニア」「トゥルーライズ」
1996年「イレイザー」「ジングル・オール・ザ・ウェイ」
1997年「バットマン&ロビン Mrフリーズの逆襲」
1999年「エンド・オブ・デイズ」
2000年「シックス・デイ」
2002年「コラテラル・ダメージ」「アルマーニ」
2003年「ターミネーター3」
2004年「80デイズ」
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SEO RINプロフィール
☆生年月日・出身:
1978.6.14、韓国
☆俳優タイプイメージ:
美人、これからの女優。シリアス
☆僭越ながら一言:
個性的なシリアスな演技がいい。
☆エピソード・略年表など:
身長165cm 体重46kg
ソウル芸術大学演劇科卒。
98年SBSテレビ8期タレントとして芸能界入り。
01年「アイラブユー」で映画デビュー。
☆主な映画等出演作:
2001年「アイラブユー」
2002年「ロード・ムービー」
2003年「ナチュラル・シティ」
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☆生年月日・出身:
1978.6.14、韓国
☆俳優タイプイメージ:
美人、これからの女優。シリアス
☆僭越ながら一言:
個性的なシリアスな演技がいい。
☆エピソード・略年表など:
身長165cm 体重46kg
ソウル芸術大学演劇科卒。
98年SBSテレビ8期タレントとして芸能界入り。
01年「アイラブユー」で映画デビュー。
☆主な映画等出演作:
2001年「アイラブユー」
2002年「ロード・ムービー」
2003年「ナチュラル・シティ」
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YU GEE TAEプロフィール
☆生年月日・出身:
1976/4/13、韓国ソウル
☆俳優タイプイメージ:
演技派、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
韓国スターの中堅。これからのさらなる活躍に期待。大きな体格で豪快な演技もいいが繊細な演技もうまい。
☆エピソード・略年表など:
身長187cm、体重75kg。
檀国大学校演劇映画化卒業。学生時代からモデルやダンサー、CM出演など芸能活動を始めた。
93年に現代グループが主催するモダン・ダンスで大賞を受賞。95年からモデルとして活動。
98年「バイ・ジュン」で映画デビュー。この映画では全く注目されず、映画俳優としては無名の存在だった。99年の「アタック・ザ・ガス・ステーション!」で大ヒット。寡黙で純粋な芸術家のペイント役を演じ、若い女性の間で人気になる。CMなどに引っ張りダコになり、一気にスターダムに。
☆主な映画等出演作:
1998年「バイ・ジュン」
1999年「アタック・ザ・ガス・ステーション!」
2000年「リベラ・メ」「リメンバー・ミー」「友引忌」
2001年「春の日は過ぎゆく」
2003年「Mirror 鏡の中」「ナチュラル・シティ」
2004年「女は男の未来だ」「オールド・ボーイ」
2005年「南極日誌」「美しき野獣」
☆主な映画等出演作のDVD☆




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☆生年月日・出身:
1976/4/13、韓国ソウル
☆俳優タイプイメージ:
演技派、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
韓国スターの中堅。これからのさらなる活躍に期待。大きな体格で豪快な演技もいいが繊細な演技もうまい。
☆エピソード・略年表など:
身長187cm、体重75kg。
檀国大学校演劇映画化卒業。学生時代からモデルやダンサー、CM出演など芸能活動を始めた。
93年に現代グループが主催するモダン・ダンスで大賞を受賞。95年からモデルとして活動。
98年「バイ・ジュン」で映画デビュー。この映画では全く注目されず、映画俳優としては無名の存在だった。99年の「アタック・ザ・ガス・ステーション!」で大ヒット。寡黙で純粋な芸術家のペイント役を演じ、若い女性の間で人気になる。CMなどに引っ張りダコになり、一気にスターダムに。
☆主な映画等出演作:
1998年「バイ・ジュン」
1999年「アタック・ザ・ガス・ステーション!」
2000年「リベラ・メ」「リメンバー・ミー」「友引忌」
2001年「春の日は過ぎゆく」
2003年「Mirror 鏡の中」「ナチュラル・シティ」
2004年「女は男の未来だ」「オールド・ボーイ」
2005年「南極日誌」「美しき野獣」
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☆生年月日・出身:
1968/9/25、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア
☆俳優タイプイメージ:
実力派、演技派、ヒーロー、コミカル、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
演技力・実力とも充実。黒人俳優の中でも売れっ子。俳優でありラッパーでもある。
☆エピソード・略年表など:
アフリカ系アメリカ人家族の4人兄弟の次男として生まれる。
12歳の頃からパーティーでラップを披露し、才能を発揮。高校を卒業すると、友人とヒップホップ・グループ「DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンス」を結成。
87年、アルバム「Rock The House」でデビュー。翌年には、シングル「Parents Just Don't Understand」が大ヒット。グラミー賞最優秀パフォーマンス賞を受賞。ラップ・ミュージックのトップスターになる。
90年にTV界にも進出、シットコム「ベルエアのフレッシュ・プリンス」で人気を博す。このシリーズは6年間続いた。
92年映画でもデビュー。
95年「バッド・ボーイズ」で主演デビュー。
96年の主演作「インデペンデンス・デイ」が大ヒット。翌年、映画「メン・イン・ブラック」の主題歌を制作することで、「DJジャジー・ジェフ&ザ・フレッシュ・プリンス」を再結成し音楽界に復帰。サウンド・トラックは全米1位を記録し、300万枚のセールスを上げた。映画ももちろん大ヒットした。
98年と99年に2年連続のグラミー賞を受賞。映画主題歌「ワイルド・ワイルド・ウエスト」をチャートのトップに送り込んだ。その後、同曲も収録された、2ndソロ・アルバム「willenium」をリリース。
92年に結婚したシェリー・スミスとの間に息子が一人いるが、95年に離婚。
97年に女優のジェイダ・ピンケット=スミスと再婚している。
06年映画「幸せのちから」で息子のジェイデン・クリストファー・サイア・スミスと親子競演を果たしている。同作で第79回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
☆主な映画等出演作:
1992年「ハートブレイク・ダウン」
1993年「メイド・イン・アメリカ」「私に近い6人の他人」
1995年「バッドボーイズ」
1996年「インデペンデンス・デイ」
1997年「メン・イン・ブラック」
1998年「エネミー・オブ・アメリカ」
1999年「ワイルド・ワイルド・ウエスト」
2000年「バガー・ヴァンスの伝説」
2001年「アリ」
2002年「メン・イン・ブラック2」
2003年「バッドボーイズ2バッド」
2004年「アイ,ロボット」「シャーク・テイル」(声)「最後の恋のはじめ方」
2006年「幸せのちから」
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