海外の映画俳優・女優のプロフィール、デビュー映画、代表作、DVD,私生活などの情報です。
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Jane Fondaプロフィール
女優
The Internet Movie Database(英語)映画俳優・女優の英語名を入力。画像・出演作等情報多数有り。
☆生年月日・出身:
1937/12/21、アメリカ合衆国ニューヨーク市
☆俳優タイプイメージ:
演技派、自在、シリアス
☆僭越ながら一言:
演技力はあるが、知名度はある年齢層から上に限られそう。かつての人気もちょっと下降気味。壮年期は政治的活動でも注目された。父との確執と和解はそのものが人間ドラマ。
☆俳優のエピソード・略年表など:
父は名優・故ヘンリー・フォンダ(1905/5/16-1982/8/12)。弟は俳優で監督のピーター・フォンダ。姪のブリジット・フォンダも女優。
2歳の時母がヘンリーの浮気を苦にして自殺。その3ヵ月後に後妻を迎えた父に反発し、以降父ヘンリーとの関係は時代を追うごとに悪化した。
ヴェッサー女子大へ入学し、画家を目指してパリへ留学。帰国後次第に女優を志す。
和解したのは、フランスから帰国してからという。
アカデミー賞と無縁だった父ヘンリー・フォンダが、アカデミー賞特別功労賞を受賞した時、「私の人生の一番のハイライトです。」と語ったものの、本当の胸の内は、現役俳優として主演男優賞が欲しいと願っていたことを、ジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博したヒューマンな家庭劇の佳作「On Golden Pond」の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンで撮影に入り、夫婦愛と親子の和解がテーマにしたこの映画で、ジェーンは主人公の娘役で出演。「黄昏」は完成し、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を制覇。授賞式に、長年の心臓疾患が悪化して寝たきりとなっていた父ヘンリーは出席できず、代わりにジェーンがオスカーを受け取った。「ダッド、あなたの娘であることを誇りに思います。」「待っていてね、孫を連れてそちらに行くから。」自宅で、ジェーンからオスカーを受け取ったヘンリーは、黙ったまま目から涙をこぼしたとの逸話もある。
劇団を通じた舞台での活動、雑誌の写真モデルなどを経験後、60年に「のっぽ物語」で映画デビュー。
父の影を嫌い64年、「危険がいっぱい」の出演を期にフランスに渡る。この時共演したアラン・ドロンの紹介でロジェ・ヴァディム監督と知り合う。 68年には「バーバレラ」など、セクシー路線への転向に成功。
ベトナム戦争混迷期、ベトナム戦争反対運動に積極的に関わったことで「Hanoi Jane」と呼ばれ非国民扱いされた。
本人は反戦、反体制、ウーマン・リブの闘士として活動。この頃からの出演作は彼女の心情が色濃く反映された作品が多くなる。
ベトナム戦争末期の72年に「アメリカ軍兵士のための反戦運動」として北ベトナムを訪れた際には、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットをかぶりポーズをとった。
後にこの写真は世界中に配信され、フォンダは「祖国への裏切り行為で判断の誤りだった」と釈明したが、この後長年に渡りべトナムに派兵された兵士や帰還兵、その家族を中心に大きな批判を浴びることとなる。
04年に自叙伝のサイン会でその退役軍人から唾を吐きつけられる事件も起きた。
7度アカデミー賞にノミネート、71年「コールガール」と78年「帰郷」で2度アカデミー賞主演女優賞を受賞。
92年に映画界からの引退を表明。
05年、ジェニファー・ロペスとの共演作「Monster-in-Law」で映画にカムバック、女優業への復帰の可能性あり。
婚姻歴は、65年に結婚した監督ロジェ・バディムと結婚、73年に離婚。
同年に反戦運動家のトム・ヘイドン氏と再婚したが89年に離婚。
91年にテッド・ターナー氏と結婚し、ボディーエクササイズ講師としても活躍。01年離婚。
☆ジェーン・フォンダの主な映画等出演作:
1960年「のっぽ物語」
1962年「荒野を歩け」「チャップマン報告」
1964年「ニューヨークの休日」「危険がいっぱい」「輪舞」
1965年「キャット・バルー」
1966年「逃亡地帯」「獲物の分け前」「水曜ならいいわ」
1967年「夕陽よ急げ」「裸足で散歩」
1968年「世にも怪奇な物語」「バーバレラ」
1969年「ひとりぼっちの青春」
1971年「コールガール」
1972年「万事快調」
1973年「人形の家」
1976年「青い鳥」
1977年「おかしな泥棒・ディック&ジェーン」「ジュリア」
1978年「帰郷」「カムズ・ア・ホースマン」「カリフォルニア・スイート」
1979年「出逢い」「チャイナ・シンドローム」
1980年「9時から5時まで」
1981年「黄昏」「華麗なる陰謀」
1985年「アグネス」
1986年「モーニング・アフター」
1987年「ビル・コスビーのそれ行けレオナルド」
1989年「私が愛したグリンゴ」
1990年「アイリスへの手紙」
2002年「デブラ・ウインガーを探して」
2005年「Monster-in-Law」
2007年「Georgia Rule」
☆ジェーン・フォンダの主な映画等出演作のDVD☆


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The Internet Movie Database(英語)映画俳優・女優の英語名を入力。画像・出演作等情報多数有り。
☆生年月日・出身:
1937/12/21、アメリカ合衆国ニューヨーク市
☆俳優タイプイメージ:
演技派、自在、シリアス
☆僭越ながら一言:
演技力はあるが、知名度はある年齢層から上に限られそう。かつての人気もちょっと下降気味。壮年期は政治的活動でも注目された。父との確執と和解はそのものが人間ドラマ。
☆俳優のエピソード・略年表など:
父は名優・故ヘンリー・フォンダ(1905/5/16-1982/8/12)。弟は俳優で監督のピーター・フォンダ。姪のブリジット・フォンダも女優。
2歳の時母がヘンリーの浮気を苦にして自殺。その3ヵ月後に後妻を迎えた父に反発し、以降父ヘンリーとの関係は時代を追うごとに悪化した。
ヴェッサー女子大へ入学し、画家を目指してパリへ留学。帰国後次第に女優を志す。
和解したのは、フランスから帰国してからという。
アカデミー賞と無縁だった父ヘンリー・フォンダが、アカデミー賞特別功労賞を受賞した時、「私の人生の一番のハイライトです。」と語ったものの、本当の胸の内は、現役俳優として主演男優賞が欲しいと願っていたことを、ジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博したヒューマンな家庭劇の佳作「On Golden Pond」の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンで撮影に入り、夫婦愛と親子の和解がテーマにしたこの映画で、ジェーンは主人公の娘役で出演。「黄昏」は完成し、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を制覇。授賞式に、長年の心臓疾患が悪化して寝たきりとなっていた父ヘンリーは出席できず、代わりにジェーンがオスカーを受け取った。「ダッド、あなたの娘であることを誇りに思います。」「待っていてね、孫を連れてそちらに行くから。」自宅で、ジェーンからオスカーを受け取ったヘンリーは、黙ったまま目から涙をこぼしたとの逸話もある。
劇団を通じた舞台での活動、雑誌の写真モデルなどを経験後、60年に「のっぽ物語」で映画デビュー。
父の影を嫌い64年、「危険がいっぱい」の出演を期にフランスに渡る。この時共演したアラン・ドロンの紹介でロジェ・ヴァディム監督と知り合う。 68年には「バーバレラ」など、セクシー路線への転向に成功。
ベトナム戦争混迷期、ベトナム戦争反対運動に積極的に関わったことで「Hanoi Jane」と呼ばれ非国民扱いされた。
本人は反戦、反体制、ウーマン・リブの闘士として活動。この頃からの出演作は彼女の心情が色濃く反映された作品が多くなる。
ベトナム戦争末期の72年に「アメリカ軍兵士のための反戦運動」として北ベトナムを訪れた際には、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットをかぶりポーズをとった。
後にこの写真は世界中に配信され、フォンダは「祖国への裏切り行為で判断の誤りだった」と釈明したが、この後長年に渡りべトナムに派兵された兵士や帰還兵、その家族を中心に大きな批判を浴びることとなる。
04年に自叙伝のサイン会でその退役軍人から唾を吐きつけられる事件も起きた。
7度アカデミー賞にノミネート、71年「コールガール」と78年「帰郷」で2度アカデミー賞主演女優賞を受賞。
92年に映画界からの引退を表明。
05年、ジェニファー・ロペスとの共演作「Monster-in-Law」で映画にカムバック、女優業への復帰の可能性あり。
婚姻歴は、65年に結婚した監督ロジェ・バディムと結婚、73年に離婚。
同年に反戦運動家のトム・ヘイドン氏と再婚したが89年に離婚。
91年にテッド・ターナー氏と結婚し、ボディーエクササイズ講師としても活躍。01年離婚。
☆ジェーン・フォンダの主な映画等出演作:
1960年「のっぽ物語」
1962年「荒野を歩け」「チャップマン報告」
1964年「ニューヨークの休日」「危険がいっぱい」「輪舞」
1965年「キャット・バルー」
1966年「逃亡地帯」「獲物の分け前」「水曜ならいいわ」
1967年「夕陽よ急げ」「裸足で散歩」
1968年「世にも怪奇な物語」「バーバレラ」
1969年「ひとりぼっちの青春」
1971年「コールガール」
1972年「万事快調」
1973年「人形の家」
1976年「青い鳥」
1977年「おかしな泥棒・ディック&ジェーン」「ジュリア」
1978年「帰郷」「カムズ・ア・ホースマン」「カリフォルニア・スイート」
1979年「出逢い」「チャイナ・シンドローム」
1980年「9時から5時まで」
1981年「黄昏」「華麗なる陰謀」
1985年「アグネス」
1986年「モーニング・アフター」
1987年「ビル・コスビーのそれ行けレオナルド」
1989年「私が愛したグリンゴ」
1990年「アイリスへの手紙」
2002年「デブラ・ウインガーを探して」
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