海外の映画俳優・女優のプロフィール、デビュー映画、代表作、DVD,私生活などの情報です。
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☆生年・出身:
1930年、イギリス・エディンバラ
☆俳優タイプイメージ:
実力派、演技派、、ヒーロー、正義、コミカル、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
007のイメージが強い。最近作は渋い親父といった感じ。05年の引退宣言が残念。
☆エピソード・略年表など:
18歳で海軍に入隊。病気のため、除隊した後、セミプロのサッカー選手で活躍する一方、鉄鋼労働者、道路工夫などをしながら、体を鍛えた。ミスターユニバース。
イギリス女王からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド民族党の熱烈な支持者でもある。
54年に映画デビュー。
62年「007は殺しの番号」のジェームズ・ボンド役で人気スターに。
86年「薔薇の名前」で英国アカデミー賞主演男優賞。
87年「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
99年にナイトの称号が与えられ、サー・ショーン・コネリーとなった。妻は芸術家ミシェリーヌ・ルクブラン。
息子のジェイソン・コネリーも俳優。
アメリカにある自身の所属するゴルフクラブのクラブ会員ネームプレートには自身の名前ではなく「007」というネームプレートが掲げられている。
007降板の理由として、カツラメーカーからDMの様な物が届き、それが元でカツラ発覚による降板であるという話があるが、それはデマ。実際は「007サンダーボール作戦」の水中撮影時にはすでに公然の事実となっていた。さらに「007は二度死ぬ」で共演した浜美枝によると撮影の合間に「休憩時間はプライベートな時間だ。カツラはうっとうしい」と言って常に外し、何もはばかるところはなかったそうだ。「ダイヤモンドは永遠に」で自発的に降板したというのが真相のようだ。
05年にAFIの生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言。
☆主な出演作☆
1957年「鍵なき扉」「地獄特急」「虎の行動」
1959年「ターザンの決闘」「四つの願い」
1961年「殴り込み愚連隊」「ダイナミック作戦」
1962年「007は殺しの番号(007/ドクター・ノオ)」「史上最大の作戦」
1963年「007/危機一髪(007/ロシアより愛を込めて)」
1964年「わらの女」「マーニー」「007/ゴールドフィンガー」
1965年「丘」「素晴らしき男」「007/サンダーボール作戦」
1967年「007は二度死ぬ」
1968年「シャラコ」
1969年「赤いテント」
1970年「男の闘い」
1971年「ショーン・コネリー/盗聴作戦」「007/ダイヤモンドは永遠に」
1973年「怒りの刑事」
1974年「未来惑星ザルドス」「オリエント急行殺人事件」「オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック」
1975年「風とライオン」
1976年「王になろうとした男」「ショーン・コネリー/愛しき暗殺者」「ロビンとマリアン」
1977年「遠すぎた橋」
1978年「大列車強盗」
1979年「メテオ」「さらばキューバ」
1981年「アウトランド」「バンデットQ」
1982年「シークレット・レンズ」「氷壁の女」
1983年「ネバーセイ・ネバーアゲイン」「勇者の剣」
1985年「ハイランダー/悪魔の戦士」「薔薇の名前」
1987年「アンタッチャブル」
1988年「プレシディオの男たち」
1989年「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「ファミリー・ビジネス」
1990年「レッド・オクトーバーを追え!」「ロシア・ハウス」「ハイランダー2/蘇る戦士」
1991年「ロビン・フッド」
1992年「ザ・スタンド」
1993年「ライジング・サン」
1994年「グッドマン・イン・アフリカ」
1995年「理由」「トゥルーナイト」
1996年「ザ・ロック」「ドラゴンハート」(声)
1998年「アベンジャーズ」
1999年「エントラップメント」「マイ・ハート,マイ・ラブ」
2000年「小説家を見つけたら」
2003年「リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い」
2005年「ビリー・ザ・ヴェット」(声)
☆今、手に入るDVD☆

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1930年、イギリス・エディンバラ
☆俳優タイプイメージ:
実力派、演技派、、ヒーロー、正義、コミカル、アクション、シリアス
☆僭越ながら一言:
007のイメージが強い。最近作は渋い親父といった感じ。05年の引退宣言が残念。
☆エピソード・略年表など:
18歳で海軍に入隊。病気のため、除隊した後、セミプロのサッカー選手で活躍する一方、鉄鋼労働者、道路工夫などをしながら、体を鍛えた。ミスターユニバース。
イギリス女王からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド民族党の熱烈な支持者でもある。
54年に映画デビュー。
62年「007は殺しの番号」のジェームズ・ボンド役で人気スターに。
86年「薔薇の名前」で英国アカデミー賞主演男優賞。
87年「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
99年にナイトの称号が与えられ、サー・ショーン・コネリーとなった。妻は芸術家ミシェリーヌ・ルクブラン。
息子のジェイソン・コネリーも俳優。
アメリカにある自身の所属するゴルフクラブのクラブ会員ネームプレートには自身の名前ではなく「007」というネームプレートが掲げられている。
007降板の理由として、カツラメーカーからDMの様な物が届き、それが元でカツラ発覚による降板であるという話があるが、それはデマ。実際は「007サンダーボール作戦」の水中撮影時にはすでに公然の事実となっていた。さらに「007は二度死ぬ」で共演した浜美枝によると撮影の合間に「休憩時間はプライベートな時間だ。カツラはうっとうしい」と言って常に外し、何もはばかるところはなかったそうだ。「ダイヤモンドは永遠に」で自発的に降板したというのが真相のようだ。
05年にAFIの生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言。
☆主な出演作☆
1957年「鍵なき扉」「地獄特急」「虎の行動」
1959年「ターザンの決闘」「四つの願い」
1961年「殴り込み愚連隊」「ダイナミック作戦」
1962年「007は殺しの番号(007/ドクター・ノオ)」「史上最大の作戦」
1963年「007/危機一髪(007/ロシアより愛を込めて)」
1964年「わらの女」「マーニー」「007/ゴールドフィンガー」
1965年「丘」「素晴らしき男」「007/サンダーボール作戦」
1967年「007は二度死ぬ」
1968年「シャラコ」
1969年「赤いテント」
1970年「男の闘い」
1971年「ショーン・コネリー/盗聴作戦」「007/ダイヤモンドは永遠に」
1973年「怒りの刑事」
1974年「未来惑星ザルドス」「オリエント急行殺人事件」「オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック」
1975年「風とライオン」
1976年「王になろうとした男」「ショーン・コネリー/愛しき暗殺者」「ロビンとマリアン」
1977年「遠すぎた橋」
1978年「大列車強盗」
1979年「メテオ」「さらばキューバ」
1981年「アウトランド」「バンデットQ」
1982年「シークレット・レンズ」「氷壁の女」
1983年「ネバーセイ・ネバーアゲイン」「勇者の剣」
1985年「ハイランダー/悪魔の戦士」「薔薇の名前」
1987年「アンタッチャブル」
1988年「プレシディオの男たち」
1989年「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「ファミリー・ビジネス」
1990年「レッド・オクトーバーを追え!」「ロシア・ハウス」「ハイランダー2/蘇る戦士」
1991年「ロビン・フッド」
1992年「ザ・スタンド」
1993年「ライジング・サン」
1994年「グッドマン・イン・アフリカ」
1995年「理由」「トゥルーナイト」
1996年「ザ・ロック」「ドラゴンハート」(声)
1998年「アベンジャーズ」
1999年「エントラップメント」「マイ・ハート,マイ・ラブ」
2000年「小説家を見つけたら」
2003年「リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い」
2005年「ビリー・ザ・ヴェット」(声)
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